アフリカとの出会い36
アフリカの日々5 「アフリカンファミリーの姿」
   

竹田悦子 アフリカンコネクション

 歳を重ねてゆくほどに人は尊敬されるのは当たり前のことと私は思うが、アフリカ諸国はそのことを誰も言わなくともそれが当たり前な社会のようだ。

 人が途上国と呼ぶアフリカの国々では、人々に尊敬され、大切にされている老人が多いように思う。私が知るケニアも例外ではなかった。例えば、ケニア最大部族のキクユ族では、おじいちゃんは「グーカー」と呼ばれ、おばあちゃんは「ショウショウ」と呼ばれるが、その言葉のニュアンスには私達日本人が、おじいちゃん・おばあちゃんと呼び掛ける以上の尊敬の響きを持っているように思う。

 植民地支配から国が独立して40~50年しか経過していないほとんどのアフリカの国々にとって祖父母の世代は、独立を勝ち取った世代であり、歴史の生きた証人でもある。また祖父母世代の数世代前になると、まさに植民地支配の下で実際に生きていた世代なのだ。祖父母の話には、植民地時代のアフリカの人々の苦しみや悲しい経験が今も息づいている。

 夫の父方の義理の祖父は、ケニアがまだイギリスの植民地時代だった時に、白人入植者の畑で働いた経験を持っている。その後のケニア独立戦争では、マオマオ (独立のために戦った戦士の総称)の一員として戦ったそうだ。その後は現在までずっと、自分で始めたコーヒー農場でコーヒー豆を栽培し、出荷している。私が初めて会ったときも、コーヒー農場で仕事をしていた。キクユ語で「こんにちは」というと笑顔で迎えてくれた気がする。「今日は体調がよくなくて、コーヒーの実を少しずつはさみで摘み取るしかできないよ」と言っていた。

 その祖父は、おしゃべりな人である。所かまわず、相手が誰であっても、ずっと話をし続けている。私がキクユ語を理解できないと知りつつも機関銃のように話し続けるのが常だ。私が周りの人に「祖父は何を話しているの」と訊くと、昔話、諺の由来、農作物のこと、家族のこと、植民地時代のケニアでマオマオ戦士だった頃のこと等など、いろいろな話が後から後から続いているそうだ。あまりのスピードに誰も合いの手さえ入れることができない。対照的に祖母はもの静かで聴き上手だ。たまに一言二言口を挟んでは、祖父に倍くらい反論されている。

 オザヤという村に住む母方の義理の祖父は、耳も遠く、足も弱って杖を突いて歩いている。また父方の祖父は、80歳を越えているが、1人目の奥さんとの間に15人の子供があり、2人目との奥さんとの間には10人の子供がいるが、この奥さんは60代でまだまだ若い。2人の奥さんは、本当に仲良しで、家も同じ敷地内にある。奥さん達の家が同じ敷地内にあるのはこのあたりでは一般的だが、この祖父の奥さん達の、それぞれの子供達は敷地内を自由に行き来していて、私のように外から来たものには、だれがどちらの子供か分からない。「そんなことは重要ではない」と祖父は言っていた。「だってみんな私の家族だから」だそうだ。

 1人目の奥さんは、私がケニアに滞在していた2007年に亡くなった。糖尿病であった。病に倒れてからは、ナイロビの病院に入院したり、通院したりしていた。私が自分の孫と結婚するのを知ると「孫が結婚するのが嬉しい」といって心から喜んでくれていた。キクユ族は伝統を大切にしている民族といわれ、しかも日本人なんて今まで見る機会などなかった世代の農村の祖母である。亡くなる半年前に見舞いで訪れた私の手をとって、「孫の結婚が嬉しい」と涙を流してくれた。

 葬儀の為に、棺に納められた祖母はナイロビの病院からオザヤ村に車で運ばれた。村に入ると村中の人が、彼女を迎える歌を歌い始め、その後ろの車に乗っていた私はその人の多さにびっくりし、またその歌声の大きさに村の人々の彼女への愛情の深さを感じた。

 200名は参列していただろうか。棺を前に神父さんが式を進めていく。彼女の家族が次々に紹介されて棺を囲み写真を撮る。その多さ。こんなにも大勢の家族がいたということを初めて知った。きっと私は彼女のとって最後の新しい家族だったのだろうなと思った。

 「人の死は悲しみの日」と思っていた私は、「土に帰る喜び」、「神様の許に行く喜び」、「人生をこんなにも多くの人によって愛された喜び」の歌を聴き踊りを見ながら、亡くなった人の視点で「人の死は喜びの日」でもあることを学んだ。彼女が生み出した命は、このように増え、まさに「アフリカンファミリー」を作っていた。祖母の大勢の家族を目前にして「女性は命を生み、命を育む性である」ことをしみじみ感じた。

 当時、ケニアの人から見ると私は既に結構な年齢だったが子供が居なかった。私は「子供を持つ」ということは人生の「選択肢の一つ」としか考えていなかったが、ほとんどの女性が結婚し子どもを生むケニアで、ケニアの人たちはそんな私をどのように見ているのだろうと思ったりもした。

 ケニアの女性は、お母さんになると、長男の名前にママをつけて呼ばれる。長男の名前がジョーとすると、「ママ・ジョー」と呼ばれる。ちょうど日本でも、「~ちゃんのママ」と呼ばれるのと同じだ。違うのは村人全員にそう呼ばれることである。ケニアでママと呼ばれることは名誉なことだ。その家族を養い、育む存在。しかも大家族だ。だからこそ、アフリカンママは尊敬されている。

「人は生まれ、育まれ、社会に生き、社会に貢献し、尊厳をもって死を迎える」。考えて見れば当たり前のことが繰り返されたその結果現代の私たちが存在しているのだ。人類発祥の地といわれるアフリカではこうしてずっと大家族の絆が続いている。



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